第2回インディペンデント映画大賞、主演女優賞受賞者決定RTレースへのご意見に対する声明。

第2回インディペンデント映画大賞、主演女優賞受賞者決定RTレースを行っていく過程で多くのご意見をいただきました。

そのご意見の大半が「なぜ、蒼波純さんが主演女優賞ノミネートなのか?」というものでした。詳しく言いますと、主催者である私JODIEは、蒼波純さんの主演女優賞ノミネート対象作品を『世界の終わりのいずこねこ』としていて、「『世界の終わりのいずこねこ』の主演は茉里さんであって、蒼波純さんは助演なのに、なぜ蒼波純さんが主演女優賞ノミネートなのか?」というご意見でした。

まず、私JODIEが言いたいのは、この映画を初めから終わりまで見ているということです。終末感と現在性をパワフルに湛えながら、アイドルたちにストーリーを語らせ、瑞々しさと時代の痛切を容赦なくたたきこんでくるその姿勢。そこにおける茉里さんと、蒼波純さんの存在感は只ならぬものでした。

当然、茉里さんの演技レベルが低いから、主演女優賞ノミネートさせなかったというわけではありません。断じてありません。ただ、私の中で「蒼波純」という存在の登場は想像を超えるような、雷が脳天に落ちまくるような衝撃だったのです。

そしてそれは、インディペンデント映画大賞のノミネート者選考にあたっても、茉里さんが主演で、蒼波純さんが助演というカテゴリー分けも超えてくるような、超えてもいいのではないかと思わせてくれるような演技表現だったのです。

もちろん助演女優賞ノミネートも考えましたが、やはり主演=リーディング・ロールに相応しい演技と存在感に蒼波純の主演女優賞ノミネートを決定致しました。

私はここで、米アカデミー賞において『愛を読むひと』で主演女優賞を受賞したケイト・ウィンスレットについて言及したいと思います。彼女は明らかに助演=サポーティング・ロールで、主演は青年役のダフィット・クロスでした。しかし彼女がアカデミー賞主演女優賞受賞ときいてもなんら遜色はないどころか、画面を支配し観客を圧倒するその演技表現はまさに主演級だったということができます。そもそもケイト・ウィンスレットという女優くらいになるとノミネートを目指すにあたって製作スタジオなどが主演プッシュするのは当然でしょう。私が言いたいのは、存在感の話です。

蒼波純は、主演級だった。

また身も蓋もないこと言えば、それが主演であるか助演であるかという区分自体が不明瞭なものです。演技者それぞれが作品世界に対してどれだけ貢献できているのか、それだけが重要で、大きな役であれ小さな役であれ、作品への貢献度という意味で抜きんでている人こそが、過大なほど評価されるべきだと思っています。

私の声明は以上です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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